藤堂 光

悪徳大路の奥……の図

一年の行方不明の

 ときに西暦1996年藤堂光は性愛研の微妙なバランスによって部長へと推挙された、その時の部内はいくつかの派閥が利権の関係からどこの派閥からも部長を出せないでいた。
 そして先輩方の間で総受けと評判の光にその職が回って来た、そうどうにでも言うことが聞かせられるという一点において……
 しかし光は部長就任とと同時に部をその設立当時の理念に立ち返らせようと計画したのだった、それはかつて男女同寮時代という物があった、歯止めの効かない若い性欲は暴発し誰の子とも知れぬ孤児を大量に産み出した。
 母となった生徒も産み落とされた子供もだれも幸せになれないそんな時代、一部のこの事態を憂いた生徒よって性教育の必要性が認識されそれを行なうクラブの創設は急務であった。
 そして作られたのが「性と愛の科学研究会」であった。
 しかし、いまの性愛研は学園のピンク産業を一手に担う一大企業体になってしまっていた。
 悪徳大路などの無法地帯の出現もそれを加速させていたし、性に対して生徒たちはもう真剣に考えずにただ快楽を求め、その場限りの愛を欲したからかも知れなかった。

 だから光はこの乱れた時代だからこそもとの、発足当時の性愛研に立ち返ろうとしたのだ、それは新入生や一部の見識派と合間ってうまくいくかに見えた、しかし部長就任あいさつの壇上改革を嫌う大多数の彼女を部長に仕立てた物達の手により拉致されそれより一年姿を消す事になるのだ。
 一般的には昼の性愛研製作のテレビ番組「藤堂光の純恋講座」に顔を出していた為彼女が行方不明だなどと知る物は少なかった。

 光はその間悪徳大路の奥で二級生徒のように扱われ、洗脳されていた、先のテレビ番組が日毎に過激になっていくのは公共の場を使った調教に他ならなかった。
 その調教、洗脳は徹底して行われ、光の彼氏候補であった大手フェッシング部部長を敵に回さぬ為に処女だけはそのままにされたものの他の開発は二級生徒並であった。

 一年後帰って来た時の光は表は改革派の新部長、裏では二級生徒の売買を眉ひとつ動かさないで行なう二重人格者になっていたという……