亡霊の住む家 0
『蠕動』
私の俗名は、遠山 義人(とおやま よしと)と言う。
俗名──そう。別に僧籍に身を置いたわけではない。
私は、もう何年も前に、この世を去った人間だ。
バブルに踊らされた、人生だった。
がむしゃらに盲目的に、がり勉で学生生活を過ごし、集団就職でとある金属メーカーに就職した。
ここでもモーレツ社員として働き、次長にまで登る事が出来た。
結婚もし、子供も二人生まれ──順風満帆の人生だった。
だが、バブルの絶頂期に独立の話を持ちかけられたのだ。
そこから、人生が狂った。
共に出資をした旧友が私を騙したのだ。
ただただ仕事に夢中だった私には、巧妙な奴のワナに気付けなかった。
結果、会社は倒産し、友人は金を掴んで姿を消し、私は借金だけを抱えて破産した。
家族は、とっくに私を見捨てて「他人」になっていた。
関係のあった女達も、みな巻き添えを恐れて姿を消した。
有り余る時間と借金取りの激しい恫喝、未来への絶望……。
私が自ら命を絶とうと思うのに、たいした時間はかからなかった。
せめて生命保険の金で……それが私にとっての、最後の家族への愛情だった。
◇
高台にある、白い壁の綺麗な家。赤レンガの塀に、赤い屋根。芝生の庭。
そんな瀟洒(しょうしゃ)な家に、ある一家が越してきた。
両親と長女次女、そして三女の5人家族だ。
好条件に似合わない安い、掘り出し物の物件だった。
両親は二つ返事で不動産会社と契約し、喜び勇んでこの家に越してきたのだ。
そこに、邪悪な罠が顎を開いているとも知らずに……。
「……?」 長女の由佳(ゆか)は、自分を見つめる視線を感じて、部屋の片隅に目をやった。 ──何もない。 (気のせいかな……) 「由佳ー、ちょっと来て頂戴」 「あ、はーい」 そう思った由佳は、両親に呼ばれて部屋を後にする。 「こっちの箱、開けといて頂戴」 「はいはい、これね……わ、重い」 引越しの忙しさの中で、何時しか由佳の脳裡から、先刻の出来事は忘れ去られていた。 |
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「だれ……?」 三女の鈴穂(すずほ)は、何かの気配に気がついた。 不安げにショートヘアの髪が震える。 「……」 だが、呼びかけても返事のあるはずも無く、やがて気配は消えていった。 「……?」 もう違和感は、何処にも無い。 ……ただ、漠然とした不安だけが、後に残った。 |
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「あれ、何か声がしなかったかなぁ……?」 次女の雪乃(ゆきの)はそう言い、長い黒髪を揺らせて振り向いた。 だがそこには、誰もいない……。 「パパかな? なんか、笑ってるみたいだったし……」 ちょうどその時、廊下を父親が通り過ぎる。 「やっぱりそうか」 雪乃は、それで納得した。 |
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「あなた、呼びましたか?」 「いいや、呼んでないが。玄関に誰か来てるんじゃないか?」 「そうですね、見て来ます……」 母親の法子(のりこ)はゴムバンドを解き、腰までもある艶やかな髪を泳がせて階段を降りた。 「はい、どなたですか……?」 法子は玄関の扉を開いたが、誰もいない。 「……?」 ちょっとした違和感が法子を包む。声は、寝室の奥のほうからしなかったか? 誰もいない、窓も無い方向から…… 「誰だった?」 「あ、いえ、気のせいだったみたいです……」 夫の声に我に返り、法子は慌てて疑念を振り払い、玄関の扉を閉めた。 しかし、彼女達は確かに聞いたのだ。 押し殺した、密かな男の笑い声を……。 |
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◇
──私は独立後、家の近くに製縫工場を建て、今で言うところのベンチャー企業を立ち上げた。
最初の頃は順風満帆で、一時期は市の中核をなす企業にまで成長したが──哀れバブルの煽りを食って倒産してしまった。
莫大な借金を抱え、一家は離散。私はこの家で首を吊って自殺した。
その怨霊、いかばかりか。
私の家はやがて競売(けいばい)に掛けられて人手に渡ったが、代々の持ち主がこの家に長居することはなかった。
『亡霊の棲む家』
不動産関係者は、密かにこの家をこう呼んだだろう。
私は待ち続けていたのだ。
自らの欲望を、怨霊を満たすために。
格好の獲物達がここに住み着くことを。
それまでに入居した幾つかの家族には、これといった美しい女がいなかった。
だから、ちょっとした心霊現象を起こしてやったのだ。
元の持ち主の噂も手伝い、新たな住人達は一月も持たずに、ほうほうの体で引っ越していった。
──そして、ついに現れたのだ。
私の待ち望んでいた、渇望していた、
──標的達が。
亡霊の住む家 1 に続く