亡霊の住む家 7
『次女・雪乃 D』
意思喪失に陥り、呆然と宙を見つめる雪乃……。
予測が正しければ、これで最後の仕上げができるはずだ。
私は慎重に様子を見ながら、先刻と同じように雪乃の耳元に囁いた。
『雪乃……お前は、何もない暗黒の中にいる──何も見えない、何も聞こえない──』
びく、と雪乃の背筋が引き攣る。私の『声』は届いているようだ。
『助けを呼んでも誰も来ない──』
「あ、ぁ……」 |
後は、催眠術物の小説や学術書からかじった知識が役に立った。上手く行くかどうかは分からないが、試してみる価値はありそうだ。
壊れていく雪乃のアイデンティティに、『私の所有物である』という認識を埋め込んでいく為に──。
『誰もいない……誰もいない……雪乃自身ですら、消えそうだ……』
「ひ……たす……け……」
『さぁ、足元が消えたぞ!! 落ちる、落ちるぞ、雪乃っ!!!』
私の声と同時に、雪乃の喉から恐怖の叫びが迸った。
◇ 雪乃は、暗黒の中にいた。 何も見えない、何も聞こえない──そこは、完全なる『無』の世界だった。 「おかあさん……おとうさん……」 雪乃はその真ん中で、膝を抱えて座っていた。 微かな呟きは無限の暗黒に吸い込まれ、反響すら返ってこない。 「おねえちゃん……鈴穂ぉ……」 寒い。雪乃は膝を抱えた手を硬く結び、寂しさと寒さに耐えていた。 「誰か……助けて……」 返事はない。ただただ、圧倒的なまでの大きさを持つ闇が、そこにあるだけだ。 「助けてよ……」 雪乃は少し声を荒げて助けを呼ぶ。しかし、やはり返事はなかった。 「助けてよぉ……」 思わず立ち上がって叫んだ瞬間、雪乃の足元が消失した。 |
「ひぃ……っ!?」 |
声の存在感は、それだけで雪乃を安心させた。
雪乃は狂ったように頷き、息をつく暇もなく助けを求める。
『デハ、誓エ……オ前ハ私ノ物デアルト……』
雪乃は、躊躇なく、答えた。
◇
「私は、あなたの物ですっ!!! だから、だから助けてぇーーっ!!!」
──堕ちたか。
堪えきれない笑いが洩れる。雪乃は、絶望の淵で私に全てを委ねたのだ。 私は手を実体化させ、伸ばされていた雪乃の手をそっと握ってやる。 「あ……」 雪乃の様子が、明らかに落ち着いていった。カッと見開いていた目を閉じ、安堵の吐息を洩らし、幼児のような笑みを浮かべていく。 『この手に掴まるのだ……。ほれ、暗闇の世界が薄れて、お前は現実の世界に戻る……私の側にいれば、何も心配はないのだ……』 「……うん……」 『うん、ではない。はい、だ……お前は私の物なのだろう? 闇が怖いなら、私の言う事を聞く事だ』 「はっ……はい……」 ぎゅっ、と雪乃の手が握り締めてくる。よほどあの孤独感が怖かったのだろう、必死の力が込められていた。 『分かればいい……お前は、これから私の奴隷となる……私の物である限り、私はお前を護ってやる』 「はい……」 雪乃は安堵と嬉しさに、恍惚とした微笑を浮かべる。 『私の命令は必ず守れ……そうすれば、人間などには与えられぬ快楽を与えてやろう……』 「あ……」 |
先刻の絶頂を思い出したのか、雪乃はぽっと顔を赤らめた。
『……返事はどうした?』
「はっ……はい……命令は、必ず守ります……あの……」
『……私の事は御主人様、と呼べ』
「はい……必ず、守ります……ご主人さま……」
『よし……くれぐれも命令は守る事だ……さもないと、またあの闇の世界がお前を飲み込むぞ』
雪乃の背中がぶるっ、と震える。
「あぁっ……守ります、守りますから……助けて下さい……」
『では……もう一度、誓うのだ……お前は、私の所有物であると……』
「はい……私は、ご主人さまの所有物です……ぜんぶ、ご主人さまの物です……」
雪乃は幸せそうに、そう言った。
◇
『いいだろう……では、早速ご褒美をやるとしよう』
「え……? あ!!」
がばっ、と雪乃の身体が転がされ、見えない手が両膝を掴んだ。
『力を抜け……』
「は……はい……」
雪乃が力を抜いていくのと共に、秘部が彼の視線に曝されていく。
『もう大きな声を出しても良いぞ……その代わり、家族が来たら誤魔化すんだ。』
「はい……分かりました……」
かすれていた雪乃の声が、本来の艶を取り戻した。彼はそのまま、雪乃の中心に近づいていく。
『気持ち良くしてやるぞ……気絶するほどな』
「あっ、あの……あ、あ!!!」
くい、と花びらが掻き分けられ、隠れていた中心に熱い息が掛かった。
『お願いします、はどうした?』
「あ……!! お、願いしますっ!!」
『よし……では、行くぞ……』
「あ、あああっ!!!!」
雪乃は戸惑いと羞恥の声を上げた。 指先がいきなり、一番敏感な部分を襲っていたのだ。 『気持ち良いか?』 「はぁっ、あああっ!!!!」 指先は包皮をめくり、本体を直接弄りだす。雪乃の身体が、びくんびくんと跳ねた。 『そうかそうか、もっと良くしてやるからな』 ころころころころ…… 指先で転がされた雪乃は、息も絶え絶えに妖しく蠢く。 「あ、あっ、あああっ、あっ、あっ、ああっ、あっ、あああああっ……」 『では、これはどうかな?』 ちゅっ。 「ひぃぃぃ……っ!!!!」 暖かいぬめりに覆われる感触に、雪乃はぞくぞくと背筋を反らせた。 ぴちゃ、くちゃ、ぴちゃ……ちゅうぅぅ…… 「ああっ、ああああっ、あああああああーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」 巧みな舌と唇に、雪乃は瞬く間に上り詰めてしまった。 『イったか……だが、まだまだだぞ……』 ちゅうぅ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ…… |
「ああっ、ひぃぃっ、き……ぃ……ぃああああーーーーっ、あああーーーーーっ、あああああーーーーーっ!!!!!!!」
絶頂が、何度も何度も雪乃を襲っていた。息をつく暇もなく、絶頂の瞬間だけが続けて訪れるのだ。
雪乃は打ち震え、叫び、咽び泣いていた。
ざらり、ざら、ざら、ざら……
「ああああああっ!!!! ひぃ、あ、ああああああ!!!!! うぅ、ぅ……ぅわぁああああーーーーーーっ!!!!!!」
イき狂い──。
それは、まだ幼さの残る少女に耐えられる代物ではなかった。ただただ純粋な快感が、溢れるように雪乃の小さな脳裡を満たしていく。
「ひああああっ、あああっ、あああああああ!!!!!」
恐怖と安心を与えられる事により、雪乃は彼への服従を誓った。
そして、今──その誓いは、桁違いの快感によって裏打ちされてしまったのだ。
彼女の価値観が、プライドが、自意識が──めくるめく快感に塗り変えられていく。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」
アキラの事、自分の夢、好きだったアーティスト……何もかもが、真っ白に塗り替えられていく。
そしてそこには、真っ白な頭の中には、ご主人さまが、いた。
──雪乃の記憶は、ここで途切れる。
◇
やがて、朝──。 「雪乃、もう朝よ、起きなさい」 私は、母親の声に目を覚ました。 「う……」 ゆっくりと上体を起こしたが、ふと下腹部の痛みに顔をしかめた。 「いた……」 「まあ……」 シーツに着いていた血痕を見て、母はふっと微笑んだ。 「そう、雪乃……女の子になったのね……」 「え……?」 母の視線の先を見て、愕然とする。 下腹の痛み、血痕──ごちゃごちゃになっていた記憶が蘇り、私は酷いショックを受けていた。 (私……) 「由佳の時よりも大分遅かったけど、これで安心ね。いい雪乃、これはね……」 初潮の事は保健の授業で知っていた。母親の説明を、私は空しい思いで聞き流していく。 (そうじゃないの……お母さん……) 私は女の子になった訳じゃない。一足先に、「女」になってしまったのだ。 「今日は学校を休みなさい。ゆっくりしていると良いわ──そうだ、痛み止めを持ってくるわね……」 てきぱきと動く母親を、私は感情の無い瞳で眺めていた。 |
(どうして……こんな事に……)
呆然とした頭の中に、そんな問いだけが木霊する。
(どうして……どうして……)
私は、混乱していた。
昨晩の夜の出来事はよく覚えていた。された事もしてしまった事も、全て──。
屈辱の誓いを、至福の表情で誓ってしまった事も……。
(どうして、私……)
幽霊なんて怖いはずなのに、あんな事をされて死ぬほど憎らしいはずなのに──
私は、自分のこの感情が理解できなかった。
(どうして私、嬉しいの……!?)
どうしようもないほどの、圧倒的な感情──服従する、悦び──彼の事を考えるだけで、打ち震えるような嬉しさが満ちていく。
(うそ、こんなの、うそ……)
理性が必死に警鐘を鳴らしていた。おかしいと。何かが変だ、と。
でも、もうどうしようもなかった。どうしようもないのだ。──自分では。
いくら自分に言い聞かせても、否定しようとしても、彼の事が頭から離れない。
大きく根を張った木のように、頑として揺ぎ無い強さで、私を思い込ませるのだ。
──私は、ご主人さまの所有物なのだ、と。
あの暗闇の世界──あの中に閉じ込められるのは、もう死んでも嫌だった。
そして、あの時の安心感──暖かさ、逞しさ、優しさは、もう絶対に忘れる事ができない。 昨晩の、最後の──舌で、舐められたとき……。 物凄く、気持ち良かった……。 『私の事を、思い出しているな?』 「────!!!」 突然声を掛けられ、私はびくりと飛び上がった。 「あ、あ……」 とっさの事に、言葉が出ない。 『驚く事は無い。いつも私は、お前の側にいる。お前の御主人様だからな』 「あ……ご主人、さま……」 その力強い声に、私はぶるぶると震えた。身も、心も。 『……そうだ。お前の主人だ。お前の唯一の、所有主だ』 「あぁ……」 思わず、熱いため息が洩れる。 私の心を占めていたのは──狂わんばかりの、嬉しさだった。 悩みと矛盾を抱えたまま── 『さぁ、行くぞ……』 「はい……」 私は、甘美なる快感に身を任せていく……。 |
◇
「ごめんなさい。あなたとは、付き合えないわ」 「え……」 放課後の校舎裏。静寂だけが、二人の周りを支配した。 「な……なんで……」 「あなたより好きな人がいるの。だから、あなたとは付き合えない」 「なんで、なんでだよ……雪乃……」 アキラはその場に呆然と立ち尽くし、辛うじて疑問の言葉を紡ぐ。だが、その返答は冷たかった。 「雪乃なんて呼び捨てにしないで。私をそう呼んでいい男の人ははあの人だけ」 「……」 「もう、今までみたいに話し掛けないで。あまり近寄らないでほしいの。じゃあね」 声も出せないアキラを残して、雪乃はそのまま立ち去った。 「なんでだよ……」 一昨日、手紙を受け取った時に見せたあの笑顔は──恥ずかしそうな、嬉しそうな笑顔は、嘘だったのか。 幼い頃から一緒にいた、あの長い年月の間に培ってきた絆は、何だったんだ。 「なんでだよ、雪乃……」 震えるアキラの問いは、ただ空しく辺りに響いていた。 |
亡霊の住む家 8 に続く