亡霊の住む家 7

『次女・雪乃 D』

 意思喪失に陥り、呆然と宙を見つめる雪乃……。
 予測が正しければ、これで最後の仕上げができるはずだ。
 私は慎重に様子を見ながら、先刻と同じように雪乃の耳元に囁いた。
『雪乃……お前は、何もない暗黒の中にいる──何も見えない、何も聞こえない──』
 びく、と雪乃の背筋が引き攣る。私の『声』は届いているようだ。
『助けを呼んでも誰も来ない──』

「あ、ぁ……」
 恐怖の慄きが雪乃の口から漏れた。これは上手く行くかも知れない──私はわくわくしながら、更に雪乃に言葉を刻んでいく。
『真っ暗だ。そして、寒い──お前はその暗闇の中で、消えそうになる……』
「あ、あ、あ……」
 雪乃は泣きそうな顔で手をかざした。だが、その手を握って安心させるのはまだ先だ。

 壊れそうになる心を私の言葉で繋ぎとめ、私のものにする──それが、今回の計画だった。
 催眠の力も強くなっていて、しかも雪乃はこの状態だ。勝算は十分にあった。
 それに──私はニヤリ、と雪乃の下腹部を見下ろした。
 私の放った精は、どうやらそのまま私の一部であったらしい。私の存在感の一部が、雪乃の内部に存在していると告げている。

 そして、雪乃の考えている事が手に取るように分かるのだ。これを使って彼女を操る事もできるかも知れない。

 つまりは私は、精を放つ事でその女の精神に、直接潜り込む事が出来るらしいのだ。今回の作戦は、それを実証するものになるだろう……。

 後は、催眠術物の小説や学術書からかじった知識が役に立った。上手く行くかどうかは分からないが、試してみる価値はありそうだ。

 壊れていく雪乃のアイデンティティに、『私の所有物である』という認識を埋め込んでいく為に──。

『誰もいない……誰もいない……雪乃自身ですら、消えそうだ……』
「ひ……たす……け……」
『さぁ、足元が消えたぞ!! 落ちる、落ちるぞ、雪乃っ!!!』

 私の声と同時に、雪乃の喉から恐怖の叫びが迸った。




 雪乃は、暗黒の中にいた。
 何も見えない、何も聞こえない──そこは、完全なる『無』の世界だった。
「おかあさん……おとうさん……」
 雪乃はその真ん中で、膝を抱えて座っていた。
 微かな呟きは無限の暗黒に吸い込まれ、反響すら返ってこない。
「おねえちゃん……鈴穂ぉ……」
 寒い。雪乃は膝を抱えた手を硬く結び、寂しさと寒さに耐えていた。
「誰か……助けて……」
 返事はない。ただただ、圧倒的なまでの大きさを持つ闇が、そこにあるだけだ。
「助けてよ……」
 雪乃は少し声を荒げて助けを呼ぶ。しかし、やはり返事はなかった。
「助けてよぉ……」
 思わず立ち上がって叫んだ瞬間、雪乃の足元が消失した。

「ひぃ……っ!?」
 落ちる。
 今まで存在していた地面が消え、雪乃は無限の闇の中に落ちていった。
「いやぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!!!」
 落ちる──落ちる──落ちていく。
 もう、上も下も分からない。自由落下の無重力の中、雪乃は半狂乱になって助けを求めた。
「ひぃぃぃっ、たすけて、たすけてっ、たすけてぇぇぇぇええーーーーーーーっ!!!!!!」
 上も下も、周りも何も見えず、ただ無限に『落ちていく』感触だけが襲い掛かる。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!」
 雪乃は極度の恐慌に陥り、無茶苦茶に手足を振り回した。

『助ケガホシイカ?』
 突然、闇の中から声が響いた。雪乃は、ケモノのような叫びでそれに応じる。
『私ヲ欲スルカ?』
 その声は、まるで闇の中に射す一条の光であるように、雪乃には感じられた。
 雪乃は狂ったように「助けて」を連呼し、声に向かって手を伸ばす。
『デハ、我ノ物トナルカ?』

 声の存在感は、それだけで雪乃を安心させた。
 雪乃は狂ったように頷き、息をつく暇もなく助けを求める。
『デハ、誓エ……オ前ハ私ノ物デアルト……』
 雪乃は、躊躇なく、答えた。


「私は、あなたの物ですっ!!! だから、だから助けてぇーーっ!!!」

 ──堕ちたか。

 堪えきれない笑いが洩れる。雪乃は、絶望の淵で私に全てを委ねたのだ。
 私は手を実体化させ、伸ばされていた雪乃の手をそっと握ってやる。
「あ……」
 雪乃の様子が、明らかに落ち着いていった。カッと見開いていた目を閉じ、安堵の吐息を洩らし、幼児のような笑みを浮かべていく。
『この手に掴まるのだ……。ほれ、暗闇の世界が薄れて、お前は現実の世界に戻る……私の側にいれば、何も心配はないのだ……』
「……うん……」
『うん、ではない。はい、だ……お前は私の物なのだろう? 闇が怖いなら、私の言う事を聞く事だ』
「はっ……はい……」
 ぎゅっ、と雪乃の手が握り締めてくる。よほどあの孤独感が怖かったのだろう、必死の力が込められていた。
『分かればいい……お前は、これから私の奴隷となる……私の物である限り、私はお前を護ってやる』
「はい……」
 雪乃は安堵と嬉しさに、恍惚とした微笑を浮かべる。
『私の命令は必ず守れ……そうすれば、人間などには与えられぬ快楽を与えてやろう……』
「あ……」

 先刻の絶頂を思い出したのか、雪乃はぽっと顔を赤らめた。
『……返事はどうした?』
「はっ……はい……命令は、必ず守ります……あの……」
『……私の事は御主人様、と呼べ』
「はい……必ず、守ります……ご主人さま……」
『よし……くれぐれも命令は守る事だ……さもないと、またあの闇の世界がお前を飲み込むぞ』
 雪乃の背中がぶるっ、と震える。
「あぁっ……守ります、守りますから……助けて下さい……」
『では……もう一度、誓うのだ……お前は、私の所有物であると……』
「はい……私は、ご主人さまの所有物です……ぜんぶ、ご主人さまの物です……」
 雪乃は幸せそうに、そう言った。

 ◇

『いいだろう……では、早速ご褒美をやるとしよう』
「え……? あ!!」
 がばっ、と雪乃の身体が転がされ、見えない手が両膝を掴んだ。
『力を抜け……』
「は……はい……」
 雪乃が力を抜いていくのと共に、秘部が彼の視線に曝されていく。
『もう大きな声を出しても良いぞ……その代わり、家族が来たら誤魔化すんだ。』
「はい……分かりました……」
 かすれていた雪乃の声が、本来の艶を取り戻した。彼はそのまま、雪乃の中心に近づいていく。
『気持ち良くしてやるぞ……気絶するほどな』
「あっ、あの……あ、あ!!!」
 くい、と花びらが掻き分けられ、隠れていた中心に熱い息が掛かった。
『お願いします、はどうした?』
「あ……!! お、願いしますっ!!」
『よし……では、行くぞ……』
「あ、あああっ!!!!」

 雪乃は戸惑いと羞恥の声を上げた。
 指先がいきなり、一番敏感な部分を襲っていたのだ。
『気持ち良いか?』
「はぁっ、あああっ!!!!」
 指先は包皮をめくり、本体を直接弄りだす。雪乃の身体が、びくんびくんと跳ねた。
『そうかそうか、もっと良くしてやるからな』
 ころころころころ……
 指先で転がされた雪乃は、息も絶え絶えに妖しく蠢く。
「あ、あっ、あああっ、あっ、あっ、ああっ、あっ、あああああっ……」
『では、これはどうかな?』
 ちゅっ。
「ひぃぃぃ……っ!!!!」
 暖かいぬめりに覆われる感触に、雪乃はぞくぞくと背筋を反らせた。
 ぴちゃ、くちゃ、ぴちゃ……ちゅうぅぅ……

「ああっ、ああああっ、あああああああーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

 巧みな舌と唇に、雪乃は瞬く間に上り詰めてしまった。
『イったか……だが、まだまだだぞ……』
 ちゅうぅ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ……


「ああっ、ひぃぃっ、き……ぃ……ぃああああーーーーっ、あああーーーーーっ、あああああーーーーーっ!!!!!!!」

 絶頂が、何度も何度も雪乃を襲っていた。息をつく暇もなく、絶頂の瞬間だけが続けて訪れるのだ。
 雪乃は打ち震え、叫び、咽び泣いていた。
 ざらり、ざら、ざら、ざら……

「ああああああっ!!!! ひぃ、あ、ああああああ!!!!! うぅ、ぅ……ぅわぁああああーーーーーーっ!!!!!!」

 イき狂い──。
 それは、まだ幼さの残る少女に耐えられる代物ではなかった。ただただ純粋な快感が、溢れるように雪乃の小さな脳裡を満たしていく。

「ひああああっ、あああっ、あああああああ!!!!!」

 恐怖と安心を与えられる事により、雪乃は彼への服従を誓った。
 そして、今──その誓いは、桁違いの快感によって裏打ちされてしまったのだ。
 彼女の価値観が、プライドが、自意識が──めくるめく快感に塗り変えられていく。

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」

 アキラの事、自分の夢、好きだったアーティスト……何もかもが、真っ白に塗り替えられていく。
 そしてそこには、真っ白な頭の中には、ご主人さまが、いた。

 ──雪乃の記憶は、ここで途切れる。



 やがて、朝──。
「雪乃、もう朝よ、起きなさい」
 私は、母親の声に目を覚ました。
「う……」
 ゆっくりと上体を起こしたが、ふと下腹部の痛みに顔をしかめた。
「いた……」
「まあ……」
 シーツに着いていた血痕を見て、母はふっと微笑んだ。
「そう、雪乃……女の子になったのね……」
「え……?」
 母の視線の先を見て、愕然とする。
 下腹の痛み、血痕──ごちゃごちゃになっていた記憶が蘇り、私は酷いショックを受けていた。
(私……)
「由佳の時よりも大分遅かったけど、これで安心ね。いい雪乃、これはね……」
 初潮の事は保健の授業で知っていた。母親の説明を、私は空しい思いで聞き流していく。
(そうじゃないの……お母さん……)
 私は女の子になった訳じゃない。一足先に、「女」になってしまったのだ。
「今日は学校を休みなさい。ゆっくりしていると良いわ──そうだ、痛み止めを持ってくるわね……」
 てきぱきと動く母親を、私は感情の無い瞳で眺めていた。

(どうして……こんな事に……)
 呆然とした頭の中に、そんな問いだけが木霊する。
(どうして……どうして……)
 私は、混乱していた。
 昨晩の夜の出来事はよく覚えていた。された事もしてしまった事も、全て──。
 屈辱の誓いを、至福の表情で誓ってしまった事も……。
(どうして、私……)
 幽霊なんて怖いはずなのに、あんな事をされて死ぬほど憎らしいはずなのに──
 私は、自分のこの感情が理解できなかった。

(どうして私、嬉しいの……!?)

 どうしようもないほどの、圧倒的な感情──服従する、悦び──彼の事を考えるだけで、打ち震えるような嬉しさが満ちていく。
(うそ、こんなの、うそ……)
 理性が必死に警鐘を鳴らしていた。おかしいと。何かが変だ、と。
 でも、もうどうしようもなかった。どうしようもないのだ。──自分では。
 いくら自分に言い聞かせても、否定しようとしても、彼の事が頭から離れない。
 大きく根を張った木のように、頑として揺ぎ無い強さで、私を思い込ませるのだ。

 ──私は、ご主人さまの所有物なのだ、と。

 あの暗闇の世界──あの中に閉じ込められるのは、もう死んでも嫌だった。

 そして、あの時の安心感──暖かさ、逞しさ、優しさは、もう絶対に忘れる事ができない。
 昨晩の、最後の──舌で、舐められたとき……。
 物凄く、気持ち良かった……。
『私の事を、思い出しているな?』
「────!!!」
 突然声を掛けられ、私はびくりと飛び上がった。
「あ、あ……」
 とっさの事に、言葉が出ない。
『驚く事は無い。いつも私は、お前の側にいる。お前の御主人様だからな』
「あ……ご主人、さま……」
 その力強い声に、私はぶるぶると震えた。身も、心も。
『……そうだ。お前の主人だ。お前の唯一の、所有主だ』
「あぁ……」
 思わず、熱いため息が洩れる。
 私の心を占めていたのは──狂わんばかりの、嬉しさだった。

 悩みと矛盾を抱えたまま──
『さぁ、行くぞ……』

「はい……」
 私は、甘美なる快感に身を任せていく……。




「ごめんなさい。あなたとは、付き合えないわ」
「え……」
 放課後の校舎裏。静寂だけが、二人の周りを支配した。
「な……なんで……」
「あなたより好きな人がいるの。だから、あなたとは付き合えない」
「なんで、なんでだよ……雪乃……」
 アキラはその場に呆然と立ち尽くし、辛うじて疑問の言葉を紡ぐ。だが、その返答は冷たかった。
「雪乃なんて呼び捨てにしないで。私をそう呼んでいい男の人ははあの人だけ」
「……」
「もう、今までみたいに話し掛けないで。あまり近寄らないでほしいの。じゃあね」
 声も出せないアキラを残して、雪乃はそのまま立ち去った。
「なんでだよ……」
 一昨日、手紙を受け取った時に見せたあの笑顔は──恥ずかしそうな、嬉しそうな笑顔は、嘘だったのか。
 幼い頃から一緒にいた、あの長い年月の間に培ってきた絆は、何だったんだ。
「なんでだよ、雪乃……」
 震えるアキラの問いは、ただ空しく辺りに響いていた。



 亡霊の住む家 8 に続く


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